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トラックス01



アンパンマンくらい恥ずかしい、が。大事なこと。

わたくし加藤アラタ(新)、プロモーションします。

玄光社から出ている「コマーシャル・フォト」という写真や広告、
出版等の業界誌の6月号企画、
「100 PHOTOGRAPHERS 2010」に紹介記事が掲載されました。

毎年一回、活躍が期待される若手フォトグラファー100人(全然若手じゃないが)を、
一人1ページで紹介する企画です。

http://www.genkosha.co.jp/cp/backnumber/390.html

去年から規定が変わって、
仕事の紹介写真3点以内と、
「LOVE & PEACE」をテーマにした写真一点を掲載する誌面構成になった。

編集長の坂田さんにブックを見せに行って掲載が決まった時、
写真一点で魅せる力についての話をされて、
正直このテーマで出せる写真のストックは割と多い方だと思うし、
掲載されている写真よりも強い写真もあるかもしれなかったが(実際ある、とは思う)、
撮りおろしにすることがこの先の自分への訓練になると思ったので、
自分なりの愛と平和のイメージを撮ってみようと思った。

((ダラダラした文章でごめんだが(誰に?)、
イメージを掴みにいく写真の方が、ただ自分が撮れてしまう写真より大事、
なんてことここ2年くらいずっと考えてる))

宇宙人てどんなかな?とか、多国籍老若男女ヌードとかいろいろ考えたが、
最終的に「祈り」みたいなイメージが浮かんで、
それをベタベタで撮ってみようかな、と。

平和とか愛ってのは状況のことじゃなくて、
望む人間の前にしか立ち現れないとしたら、
飯を食ったりセックスしたり会話を吐き出したりすることについて、
とある理想みたいなものをイメージして、
それを基準に意思を用いることが大切な気がした。

例えば誰かが、代々木公園で「ラブ アーンド ピーッス!」と大声で叫んでいたら、
何よ何よと人が膨らんで来て、
いつの間にかそこでサックスの練習をしていた青年を巻き込んで、
何となくポエトリーリーディングが始まって、
最終的に200人くらいが、
何となくラブ&ピースの雰囲気になる状況の心地良さの中にある、
ある種の空洞みたいなことがあまり好きではないのかもしれない。

まぁ、もしそんなことがあったら確実に酒に墜落して、
「なんか楽しかったね」
みたいなことを何年先にも宣うふわふわした人間の最前線の人材なんだが、俺は。

はなし戻して、シューティング。射抜くこと。

写真を撮ることには、少なからずの意思が介在すると思うし、
おれはエコにも、
もっと言うと愛やピースのことを考えて寝れない夜を過ごすことはほとんどないけど、
(少しはある)
長いな、ここまで、つまり、「ラブ アーンド ピーッス!」について、
ただ自分の持っている写真を出すことは状況、
撮りおろしにすることは意思だと(勝手に)解釈した。

ブログで高校の同級生、樹里が三人目のお子を孕んでいる記事を見かけ、
あれあれあれ、と思いわずらい思い、
しかもとあるバンドのジャケットで長女のメイちゃんをモデルに撮ったことがある。

樹里に数年ぶりに電話をかけて、
なんやらかんやらちょっと協力してもらえんかっつー話をして、
もう、何のひねりも無いひとつの絵柄が。

がはは。

ラフ



日本人であるわたくしには、少しのリーンカーネーションが備わっていて、
あとは劣勢遺伝子であるところをリーズンに女子に対するコンプレックスも、
あぁ(はぁ)もちろん備わっていて、
おうおう、命ってなんか繋がっていっちゃったりするじゃないの、ヒューヒュー、
そんなのって、撮っちゃったりしたらなんか良かったりしちゃったりするんじゃないの。

ヒューヒュー。

愛に憎悪を、ケーキにうんこを、一番虐げているもの達に対する愛を、
キリスト教的には隣人愛って言うんじゃないの?

ノリと直感と勢いに、写真と確からしい意思を。

だって俺たち、反対側のものを沢山持って、
それでも愛やら平和やら幸せやら。
俺はクラスメートに神様が居たら、絶対念入りに、極めて優等生的に痛めつけたい。
神様は、愛に溢れ過ぎていて全然信用出来ない。

あれ、何だっけ?

とはいえ、撮影があり、
4月初頭に撮られた写真のお腹の中に居た細胞が、
人の形をともなって4月末にこの世においでました。

(何だか、特別に嬉しかった)

お腹に居た細胞に名前が決まっていたので、
この世に出て一ヶ月未満のその男の子には、
俺は前倒しでスタッフクレジットに記載させてもらっています。
おうすけ、お前産まれて数日で全国誌デビューしとる。

「君の小さな頃、こんな顔をしてたんだよ。」を更に翻り、
「君の小さな頃、この尖った形の中で、蹴ったり、暴れたり、
 お母さんの皮をずっと外側に押しやっていたんだよ。」と、
言えるかもね、樹里、なんせ撮っちゃったからさ。

(中平卓馬が植物図鑑と言ったテンションと同じくらいで、 
 そこにアルバムがあるから、と言いたいね)


シャッターは、意思であり、それは静かな祈りに近いものであって・・・欲しい。
ノリや時代や評論や売名行為や自意識や高笑いや藁人形の中にあって、
激流(これ、人間一人の人生ね)を穿つひとつの提案であるべきなのではないか?

結局、何だっけ?あ、単なる告知です。見てね。見て欲しいす。
_MG_0166.jpg


追記: たわごとに協力してくれた白井家の皆様、
    ヘアメイクの立井さん(なんとこの撮影のあと妊娠中)、
    アシストしてくれたフォトグラファーの綾、 
    次女の小夏ちゃんのケアをしてくれたヨシ、
    さんきゅす。
    プロフィール写真撮ってくれた綾(上記同一人物)、  
    良え顔するやん、俺。
    自分を自分が気持ちよく思うように撮ってくれるって、素晴らしいことなんね、
    って思いましたよ。ありがとう。
    何か、全体的にありがとう。もうすっかり朝で、俺明日の打ち合わせどうしよう。
    



    あぁ。







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