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酔いが身体にまとわりついて、
明るさが届かない暗い井戸の底に落ち込んで行くような、
きっとその木彫りのバケツを、俺は嫌いではない。いやいや、むしろ好き。
蓼喰う虫のようにね。

帰りのタクシーの中で、
今晩のあんなことやこんなことを色々考えていたのだけど、
このモニターの前に座ったら全部を忘れてしまって。

何かを捨てられるというのは強さではないかと錯覚してきたけど、
言葉の話になると、捨てることと拾うことが同じくらい重要になってくるので、
一回(一介)全部捨てて、どうしても拾いたいことを、
もしくはその数がどれくらいであるか?
拾えるものが果たして強いか?
いや、そんなことはない、と確信して、やっと眠れるような気がする。

嘘。全然眠る。昼寝をする。

全体的に言葉は眠っていて、
リトマス試験紙がパッーと赤や青になるように、
アルコールの刺激を受けると、本来、何かを記したり、残したりすることに対して、
常に凡人である自分を恥ずかしく思うのに、
キャっ!と悲鳴に近い、チンチンの少し上にあるくらいの部分がざわざわする。

あぁ俺は、誰かに覚えていてもらいたいんだ!

そんな、人が生きているだけで表現、みたいな、
すごく一般化した言い方でアリ(嘘じゃない)、もしくは真理のような、
おおらかで傲慢な気持ちに心底浸れる。

言葉に必要なのは、単語単語の意味合いではなく、
それを発する声と抑揚と順序のような気がしてならない。

みっつ言ったから、それを3ピースバンドだとすると、会話とは音楽なのだ。
対話とは、その音楽を探りながらキーを掴むセッションのようだ。

俺たちは不協和音、ただ、もう少し遠くで聴けば、
森の音が、小川や鳥や、その道や未知を歩く人のさいなむ足音を含めて、
ひとつの「声」のように聴こえるかもしれない。

何かを考えたり、撮りたいと思ったり、愛したいと思った時に、
俺はいつも、一瞬光を受けると白く光る、深い井戸の揺らぎのことを考える。

それがサザメイテいてくれることや、
その対象とも自分とも違う何か(ひかり)が介在してくれることに対して、
思いをちょっと馳せてみる。

霧や煙、朝露とか幽霊とか宇宙とか、
恋愛感情とか、憎しみとか歴史とか繋がりとか。

単語で簡単に変換出来て、
でも、それが何なのか誰もよく解らない言葉一つが持つ神話めいたものを、
俺は彼女にやってくる毎月の生理くらいに、身体の中に挿れたいよ。

「生きてるだけで、愛」(本谷有希子著)な感じよ。

はーねむ。ha-nemu.

俺は自分や他人を全く信じてないけど、
「無い」というスタンスが愛を深める現象を知ってる。

何も無いけど、愛を信じる。


だって、世界が全部、俺に与えてくれたものに見えるよ。
けっこーそれは眩しくて、
俺は地球史的に言ったら(バクテリアやアミノ酸と一緒)
些細な存在なのに、全然満ちれる。

全部にサラバしながら、全部が新しい。

「ありがとう」や「ごめんなさい」じゃない違う感情で号泣。

写真よ!しゃしーん!  

ねるー。
              
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