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あるひとつの年表があって、それは、そうだな、10年近くひとつのラインで、
たまに3,4年何も描かれない場面もあったりするのだけど、
それが年表として継続してきたことだけは確かなのかもしれない。

僕たちの身体の中には幾筋かの年表があるようで、
赤字で鮮やかに刻まれ、伸びていくラインもあれば、
それはもう点でしかなくて、その点の所在達を哀しいかな覚えていることすらできないような。

今僕は君と話していて、僕の中にある君の時のグラフは恐らくいつかの夏頃から始まっていて、
上がったり下がったりを繰り返しながら、今僕の目の前にいる君に繋がっている。

とても簡単な構造のDNAのように僕の、そして望むことができるのならば、
それが君の中のいくつかの螺旋に繋がっていて、その階段をずっと下の方に辿ると、
あぁ同じ時代と同じ場所に生きることができてよかったな、
というような安易で曖昧で幸せな結末に落ち着いてしまうことを、
僕は全然恥ずかし気もなく、口に出したり、さわったり、
あるいは写真のようなつまらないものにしてしまおうとかいうような、
いくつかのことを考えるよ。

僕は君や君たちについて、いくつかのことを考えていて、
その中には邪なことや格好つけたことや疑いも当然含まれているのだけど、
僕の中にある小さなハコの中に入っている言葉全てを、
ファクターのない生のままで告げることが出来るだろうよ。

僕は現在、
この世界に対してちょっとしたせちがなさや不遇を多く見取ってしまうかもしれないけれど、
この世界自体はなんら昔から変わりゆかず揺るぎない物としてあるがままなのに、
それが美しく見えたり霧がかって見えたりもするよ。

だからこそ、思うのだ。
誰かについて話すときや自分の事を考える時、
僕の好きがあなたの好きと違う時に、
友人達の作った歌に酔いしれたその瞬間あの国に落ちた爆弾に気づいた時に。

10年間のラインに潜む妄想や嘘、愛情と平安について、
それを省みたり思いめぐらすひとときと屋上のような場所、
そこで聴くべき素晴らしき音があるならば、

恐怖や憎悪や不幸の中にある確かな輝きを、
余すことなく胸を張って形に出来るような気がするし、
僕がやりたいというかきちんと伝えるべきだと予感している何かは、
そういうものであって欲しいと思った。

明日の朝、ちゃんとトマトを食べようと決心する。










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